十二务) 黔(七务) 忠(二务) 万(六务) 渝(三务)
三万贯以下:
密(六务) 登(四务) 莱(四务) 潍(三务) 曹(四务) 淄(十一务) 郢(二务) 唐(五务) 孟(七务) 汝(十务) 郑(九务) 冀(七务) 雄(一务) 相(七务) 邢(七务) 定(十七务) 怀(八务) 卫(八务) (九务) 深(五务) 磁(十一务) 赵(六务) 保(一务) 永宁(一务) 华(八务) 通利(三务) 同(十一务) 耀(九务) (四务) 解(五务) 庆(十一务) 商(四务) 宁(六务) 环(六务) 泽(五务) 陇(八务) 渭(十八务) 阶(二务) 德顺(一务) 乾(八务) 通远(一务) 潞(六务) 晋(六务) 绛(六务) 汾(五务) 海(四务) 泰(七务) 泗(七务) 滁(四务) 和(六务) 濠(四务) 涟水(二务) 越(九务) 润(六务) 明(五务) 常(五务) 温(六务 )台(八务) 处(七务) 衢(八务) 睦(六务) 江宁(五务) 宣(九务) 歙(六务) 江(六务) 池(十一务) 饶(六务) 太平(八务) 南康(七务) 虔(六务) 广德(二务) 袁(九务) 兴国(二务) 临江(五务) 衡(一务) 江陵(十四务)鄂(八务) 安(五务) 岳(十一务) 黎(一务) 汉阳(三务) 荆门(二务) 文(六务) 龙(二务) 集(七务) 璧(一务) 南剑(十一务) 开(一务) 建(七务) 泉(九务) 汀(八务) 漳(十务) 广(十四务) 昌化(三务) 潮(五务)
一万贯以下:
随(三务) 金(十七务) 均(三务) 信阳(二务) 莫(三务) 霸(三务) 乾宁(一务) 信安(一务) (五务) 虢(四务) 坊(四务) 岷(三务) 原(六务) 仪(四务) 府(二务) 代(十九务) 隰(九务) 忻(一务) 石(六务) 辽(五务) 威胜(五务) 平定(四务) 南安(三务) 建昌(二务) 通(二务) 桂阳(二务) 鼎(四务) 澧(四务) 陵井监(四务) 峡(五务) 梁山(一务) 邵武(三务) 康(十六务) 南雄(六务) 英(八务)
五千贯以下:
广济(一务) 房(一务) 保安(一务) 安肃(一务) 丹(四务) 广信(一务) 顺安(二务) 保安(三十务) 镇戎(六务) 熙(一务) 庆成(二务) (一务) 宪(一务) 岚(三务) 慈(二务) 宁化(一务) 火山(一务) 岢岚(一务) 保德(一务) 抚(二务) 大通监(二务) 江阴(三务) 筠(三务) 永(三务) 郴(一务) 邵(三务) 全(二务) 归(一务) 辰(一务) 沅(四务) 复(二务) 茂(一务) 南平(三务) 兴化(八务) 循(四务) 韶(三务) 连(四务) 贺(二十一务) 封(三务) 端(一务) 新(一务) 南恩(一务) 惠(四务) 梅(二务) 春(九务) 桂(十四务) 容(五务) 邕(一务) 象(七务) 融(一务) 昭(十二务)梧(一务) 藤(一务) 龚(一务) 浔(三务) 贵(十一务) 柳(九务) 宜(五务) 宾(四务) 横(三务) 化(五务) 高(六务) 雷(二务) 白(一务) 钦(一务) 郁林(一务) 万安(一务) 珠崖(一务) 廉(五务) 琼(一务) 蒙(一务) 窦(二务) 南仪(一务)
按:天下商税惟四蜀独重,虽夔、戎间小垒,其数亦倍蓰於内地之壮郡。然《会要》言四蜀所纳皆铁钱,十才及铜钱之一,则数目虽多,而所取亦未为甚重。而熙宁十年以後再定之额,他郡皆增於前,而四蜀独减於旧,岂亦以元额偏重之故欤?
仁宗时,诏场务岁课倍增者,乃增使臣一员监临。又诏取一岁中数为额,後虽羡益勿增,仍毋得抑配人户、苛留商贾,求羡馀以希赏(详见《酒税门》)。
天圣中,有请算钱以助给费者,仁宗曰:“货泉之利,欲流天下而通有无,何可算也。”不许。又诏有司裁定岁课或不登而州县责衙前备偿者,立命罢之。
神宗熙宁元年,诏:“三路支移,或民以租赋赍货至边贸易以转官者毋税。石炭自怀至京不征。流民复业者,所过免算。”
四年,诏三司:“凡民承买酒麴、坊场,率千钱输税五十,储之以禄吏。”
七年,诏减国门税数十种,钱不满三十者蠲之。其先,外城二十门皆责以课息,近止令随其闲要分等,以检捕获失之数为赏罚。既而以岁旱,复有是命。
八年,手诏问中书,贾贩之物法不税者,其市利钱当输否?时有司创税贾物之入京者,谓之市利钱,以禄吏。帝疑焉,故问之。
《郑侠奏议》跋後云:“建言者以诸门及本务税钱额亏折,皆是官员饶税过多,而吏人受财,公共偷瞒,不知乃为市易拘拦商旅入务官买,以致商旅不行,税乃大亏也。遂立条约,专拦皆有食钱,官员不得饶税。专拦取钱依仓法,官员妄饶